7/17(月・祝)『子午線の祀り』(ポストトークあり)世田谷パブリックシアター

まとまらないままupする。これ以上考えても、どうせまとまらないよ。

戯曲を読んで想起したのは、小川一水『復活の地』
天体の運行が巻き起こす災厄に抗えない人々。
源平モノに、中空から月の重力による潮の満ち引きを語る視点が追加されることで、メタ的で、SFチックでもあると感じた。

というかさ。
なんでこういう芝居を作ろうと思うんだろう?と、観ながら不思議に思ってた(笑)。
そしてなんでこれを観てるんだろう?とも(成河さんが観たかったからだよ!!)。
少なくとも、「その粗筋、面白そう!!」みたいなドラマに惹かれたわけじゃない(平家物語だし)。

でも、3時間55分の上演時間が長いとは全く思わなかった。

音楽もほとんど入らない、がっつりストレートプレイだけど、
演者や群読の古語と現代語mixの言葉が小気味よくて、音階はないけど音楽的だったようにも思う。
それをセットと照明で見せていくスタイル、ちょうたのしい(^q^)

舞台の前方中心に、ざらざらした質感の、直径1mもないような円は、野球の投手マウンドのよう。。
その周囲はツヤツヤと磨かれていて、真ん中に立つ人や照明を反射して、水面のようにも見える。

最奥には階段があり、その手前の前後に動く中段(と萬斎さんは呼んでた)は人が上に立つことも、(屈めば)下に入ることもできる。
それは押し寄せる波だったり、海岸だったりした。

さらに階段状の可動式の構造物がいくつか。これは中段への昇降に使われたり、舟の舳先になったり。
これは萬斎さんが「2階から見てほしい」と仰るのも分かる。
1階サイド席(見切れナシのはず)と2階最前どセンターとで迷って、2階を選んだ私えらい。

美術の松井るみさんは、舞台版『真田十勇士』や『赤坂歌舞伎・夢幻恋双紙』の方。
この3作の中では、今作がいちばん好きだな。
(舞台版真田十勇士の、赤い布を使った演出も好きでした)

ところで、知盛も義経も、お兄ちゃんに苦労させられてるよねぇ…。

◆平知盛:野村萬斎
20余年ぶりの萬斎さん(笑)。
人を食ったようなことをペロッと言っちゃうフリーダムっぽい雰囲気が好きなんだけど、知盛もそういう軽妙な感じがあって、歌舞伎の「義経千本桜」とはだいぶ違う雰囲気。

◆影身:若村麻由美
ポストトークでも言われていたように、生身の時とそうでない時との存在感がまるで違ってた。

◆源義経:成河
6/12花髑髏千秋楽→7/1子午線の祀りプレビュー初日
花髑髏休演日に子午線の祀りの稽古に行かれてたらしいんだけど、すごいなあ…。

義経のヤカラ感…!!
いやちょっとアナタどこのヤンキー()ですか…。
ちっちゃくて声が高めの天魔ぉ…じゃなくて義経と、イケボで大きい弁慶の組み合わせが可愛くて、背中に背負った注連縄が迷子紐に見える始末。

戯曲を読んだ段階では、三番手は影身じゃなくて重能じゃない?と思ってたけど、そんなことなかった。
(とはいえ軍略・政治モノの人間ドラマとして重能の比重を高める演出も面白そう

◆ポストトーク
終演後は、萬斎さん・若村さん・成河さんでのポストトーク。
チケット発売時は万歳さん以外の参加者は公開されてなかったのにこの日を取った私えらい(2回目)。
萬斎さん(世田パブ芸術監督)―若村さん(中堅)―成河さん(若手)、って構成も面白く。
司会は朝日新聞論説委員・山口宏子さん。
ひとことでいうと、「型」、演劇の身体性についてのお話だった…かな。

萬斎さんいわく、キャスティングについては、これまでのセオリーを打破するメンツにした。

義経さんについては、「甲の声」が出せることか重要だった(萬斎さんは「呂」の声)。
面長くて身短く、みたいな描写がある。彼(成河さん)しかいない。
 #萬「『武蔵坊武蔵坊ー!!(声真似)』とか、普通の人はあんな声出しませんから」
 #成「そもそも普通は2回言いません(苦笑」
萬「新感線とか…あれも一種の歌舞伎だよね」
成「つか台詞だと思ってやってるとこがあって、つかさんにも『もっと高い声高い声』としつこく言われて」

影身は”天から放たれる声”を出せる役者でなくてはならない。
若村さんいわく「”私とあなた”ではない」「人間ではない」
能で言えば地謡の感覚。

これまでのキャストは古典・伝統芸能の役者ばかりで、「高い声で」というような型の説明で済む。
が、現代劇の人にはそこに至る内面のほうを説明しないと納得してもらえないということを世田パブで色々やってきて学んだ、と萬斎さん。

そのあたりを受けてだったか、司会進行の方が、最近は現代劇の人も古典に学ぼうとしているのでは云々という話題を振った時だったかな?
やや回答に困ったらしい(スパっと答えにくそうな話題だったからね・笑)成河さんが、「僕そういうハナシ好きですよー」とゆらゆらしてた(笑)。
で、ここ数年ミュージカルにも出演しているが、そこでは「感情は後からついてくるから、音を丁寧に」と教わった、と。

他に若村さんが仰ってたのは
・セット奥(“中空”と表現)の階段から降りるのが怖い。
 目を閉じれば降りられるのに、目を開けるとむしろ危うくなって、いかに視覚に頼っているかを実感した。
・(前方にあった)階段の段差が半端な高さと奥行きで、とても上り下りしにくい。
 (トーク後、3人してわざとらしくえっちらおっちら上ってハケてた・笑)
・(若村さんは平家物語をやっているので)群読の人たち?に台詞をどうやって覚えるのか相談されて、音読すると良いとアドバイスした。
ということ。この辺りも身体性と関連があるように思う。

また、山口宏子さんの「伝統芸能の舞台は横長が多いが、世田谷パブリックシアターの舞台は縦長」というのも印象に残った。

約45分?密度の濃いポストトークでした。
13時開演で、全部終わったら18時!!(笑)

————–
歌舞伎で言う「型」は、つまり身体性(反対語:精神性)で、古典芸能はその型を重んじる。
それに対して現代劇は精神性・感情を重んじる流れだったけど…という文脈だったと思う。
自分でも「ああ、身体性ってバカにしたものじゃないんだなあ」とここ数年感じているところだったので、興味深く聞いた。
型とは、つまり「行けばわかるさ」なのだと思う。
それが何を意味するのか、という説明なしに「やってみろ」というもの。
昔の徒弟制みたいな感じ。

それに対して現代は「これをこうすると、こうなるから、これをやります」という説明が必要。
例えば「何のために勉強するんですか?」と聞かれたら、答えないといけない。
「素振りをすると、こういう効果があるからやるべき」とか。
そして精神性や、情緒が豊かであることが重要視される。

短い期間にやらなきゃいけないことがあるときに、「行けばわかるさ」を実行していたら身が持たないので
基本的には現代のやり方がいいとは思ってるんだけど、素振りを千回、一万回やって辿りつける、説明不可の境地もあるんだろうなあと。
『映画 中村勘三郎』だったかで、勘三郎さんが「べつに今日の夕飯何かな?と思いながらやってたって出来る」と言ってたのを思い出したり。
(稽古中のアドバイスの中の一言で、別の時には真逆のことを言ってるし、額面通りに受け取る話ではないハズ)

世田谷パブリックシアター開場20周年記念公演『子午線の祀り』
https://setagaya-pt.jp/performances/201707shigosen.html
【作】木下順二
【演出】野村萬斎
【音楽】武満徹
【出演】
野村萬斎    … 新中納言知盛
成河      … 九郎判官義経
河原崎國太郎  … 大臣殿宗盛
今井朋彦    … 梶原平三景時
村田雄浩    … 阿波民部重能
若村麻由美   … 影身の内侍 ほか


  • タイトル:子午線の祀り
  • 会場:世田谷パブリックシアター
  • 会期:
  • web:https://setagaya-pt.jp/performances/201707shigosen.html
  • 出演者:野村萬斎,成河,河原崎國太郎,今井朋彦,村田雄浩,若村麻由美
  • 鑑賞日:2017/07/17
  • 書いた日:

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