『スリル・ミー』の「歴史の中に埋もれてしまった事実は今や誰のもの」について

私「歴史の中に埋もれてしまった事実は今や誰のもの」

最初は普通に歌詞として聞き流して。

見終わって、私の問いかけと言うより、脚本家からの問いなのかな?と受け取って。
動機を愛(あるいは独占欲)にしたのは脚本家のプラン(捏造・創作)で、それに対してのエクスキューズにも取れるな、と。
(初見の感想に書いたように、、何かの出来事について分かりやすく解釈するのは危険だと思ってるので)

で、ふと、ああ、これは成河私の”信頼できない語り手”宣言なのかーと、2月になってから思いました。
や、その表現も変なのかな?
今や誰のもの=私のもの(とすることもできる)、というか。
「観客も共犯者になるような」と表現してた人がいたのは、こういうとこだったのかなー。
みんなすごいね。

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